23:猫鏡
10月が来ると、「お菊」は2才半になる。
2才半。もし、猫の寿命を10年だと考えると、すでに彼女は人生の4分の1を生きたということになる(猫の人生という言い方は変ですが、無視してください)。
猫の2才半が人間の何才に相当するのかは知らない。だが、もはやコムスメという年ではないはずだ。
その人生の4分の1の時間で彼女がしたことと言えば、食べることと寝ること、外を見張ること、それに身体をなめることぐらいである。
食べて、寝て、外を見張って、身体をなめる・・・食べて、寝て、外を見張って、身体をなめる・・・毎日毎日、ただその繰り返してある。
確かに「死人を恋う」の石原や、「復讐執行人」の草野は無為で変化のない人生を送って来た。だが、「お菊」の人生に比べれば、彼らの人生にしたって激動の連続である。「おいっ、このまま人生が終わってもいいのか?」
僕は「お菊」にきく。
もちろん、「お菊」は答えない。面倒臭そうに僕を見つめ、あくびするぐらいである。
ああっ、たった一度きりの貴重な生の時間を、こんなふうに無為に過ごし、無為に終わらせてしまっていいのだろうか?
だらしなく床に横たわる「お菊」を見ながら、僕は最近、しばしば思う。
最近?
そう。以前はそんなふうには思わなかったのに、最近はなぜか、強くそう思う。
なぜだろう?
もしかしたら、猫とは鏡のようなものなのではないか? まるで鏡のように、見ている人間の心情を映すのではないか?
「このままでいいのか?」という問いかけは、実は「お菊」にではなく、僕が自分自身に発しているのではないか?
ちなみに妻に、「菊の人生をどう思う?」ときいたところ、返って来た答えは「楽しそう」であった。
楽しそう?
むむむ。「猫鏡」に映った妻の人生は楽しく、僕の人生は無為で空虚なのだろうか?
ああっ、僕はこのままでいいのだろうか?
・・・・などとバカバカしいことを考えている僕は、実はただ、執筆に行き詰まって、うじうじしているだけなのです。
今回は、ただの泣き言でした。すみません。にゃーお。




