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ここ20年ほど、妻と僕はほとんど毎年、平塚の海岸から「今年最後の日の入り」を眺めている。
以前もここに書いたように、海で見る日の入りは素晴らしいものである。
けれど、ここ町田市には海がない。
しかたなく、去年の大晦日は近くの高台に行った。つくし野の住宅街の中の高台である。
大晦日の夕方は、乾いた北風が強く吹いて、とても寒かった。そんな寒風の中、妻と僕は高台の空き地に佇んで、寒さに身を震わせながら、すずかけ台のゴルフ練習場のネットの向こうに沈んで行く最後の夕日を眺めた。
1年前の同じ頃、僕は平塚の海岸で、「来年の今日も、今と同じ気持ちで過ごせていたら何も望まない」と思った。
僕の願いはめったに叶わないのだが、どうやら、その願いは叶ったようである。
去年は2冊のノベライズを含め5冊の新刊を出してもらえた。これは僕の新記録である。20年暮らした湘南の平塚市から多摩丘陵にある町田市に引っ越しもしたし、市橋容疑者の事件もあった。
そんなふうに、いろいろなことがあったのだけれど、妻と僕の暮らしにそれほど大きな変化はなかった。大きな病気をすることもなかったし、離婚に至るような大喧嘩をすることもなかった。
そのことを僕は、つくづく「ありがたい」と思う。
そして、できることなら、今年の大晦日も、去年の大晦日と同じような気持ちで迎えられれば・・・・と願う。心からそれを願う。それだけを願う。
実は昨年は、何となく健康の衰えを感じたりした年でもあった。
ここ何年も風邪などひいたことがなかったのに、昨年は何度か寝込んだ。年末には左膝に激痛を覚え、整形外科で「半月板損傷」と診断された(ランニングのしすぎだということです)。ここ数年は人間ドックの検診を受けるたびに「前立腺肥大」だと言われるし、35年ぶりに行った歯医者では「このままだと 10年後には歯周病になるかもしれませんよ」と脅かされ、治療を受けることになった(毎日、2回ずつ丁寧に磨いていたつもりなのに!!)。
おまけに、ここ数年は眼鏡を外さないと近くのものがよく見えない(はい。老眼ですね)。その上、最近では深酒をすると記憶が飛ぶこともある(かつてはどんなに酔っ払っても、記憶をなくすことはありませんでした)。
そのほかにも、健康の衰えを感じることが、最近はしばしばある。それらはすべて加齢の影響なのだろう。
生命というものは、こんなふうにして、少しずつ、少しずつ輝きを失っていくものなのかもしれない。そして、人はこんなふうにして、少しずつ、少しずつ、「死」というものに近づいていくのかもしれない・・・・。
そんなことを、最近の僕はしばしば思う。
だからこそ、「今年も何もない1年になりますように」・・・と、心から願うのである。
新年早々、年寄り臭いことを書いてすみません。
体調のことはともかく、今年は去年以上に必死に書きますので、読者のみなさま、ぜひ、応援してください。
追伸:写真は小学校の校庭から見た我が家です。正月はガキどもがいないので、夫婦で校庭に不法侵入して撮影しました。この位置から我が家を見るのは、僕も初めてでした。

