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「いったい、いつ、ああいうことを考えてるんですか?」僕がいちばん多く尋ねられることである。
「ああいうこと」というのは、つまり、僕がいつも小説に書いているようなことである。
そういう時、僕はいつもこう答える。
「ほとんど一日中、ああいうことばかり考えているんです」と。
そうなのである。意外だと思われるだろうが、僕はほとんど一日中、小説のことばかり考えて暮らしているのだ。
もちろん、執筆中の小説についても考える。だが、それ以上に時間を費やしているのは、「次に書く小説」のことである。
デビューしたばかりの頃、長野まゆみさんに、「2作目・3作目がしんどいですよ」と言われた。
確かに、2作目の「いつかあなたは森に眠る」を書くのはしんどかったし、3作目の「出生率0」を書くのもしんどかった。
そのしんどさに耐えながら、僕はしばしば長野さんの言葉を思い出した。
2作目・3作目さえ乗り切れば、きっとあとは楽になるのだ、と。
だが、そうではなかった。
僕の場合、4作目の「死者の体温」は、それまで以上にしんどかったし、5作目の「処刑列車」は、「死者の体温」よりしんどかった。
6作目の「アンダー・ユア・ベッド」も、ものすごくしんどかったし、7作目の「殺人勤務医」も8作目の「自由殺人」も、甲乙つけがたいほどにしんどかった。
おまけに、小説を書き終えても、のんびりとはできない。僕は複数の小説を平行して書くことはあまりないから、ひとつ書き終えると、すぐに次の本の構想と執筆に入らなくてはならない。
それがまた、執筆に負けないほどのしんどさなのだ。
何を書こうか・・・何を書こうか・・・何を書こうか・・・。
目が覚めてから眠るまで、ほとんど一日中、そればかり考えている。時には夢の中でさえ、それを考えている。
まるで出口のわからない迷路を、ぐるぐるとさまよっているような気分だ。
昔、村上龍さんが「海の向こうで戦争が始まる」のあとがきに、リチャード・ブローディガンという人の言葉として、こんなことを書いていた。
「俺が生きている時は(麻薬の)注射針が腕に刺さっている時だけだ。残りは全く死んでいる。残りは注射器の中に入れる白い粉を得るために使うんだ」
その言葉を聞いて村上さんは、小説は麻薬にそっくりだと思う。
昔はよく理解できなかった。だが、今は僕にもよくわかる。
小説家なんて、つくづく因果な稼業だ。
だが、しかたがない。僕にはほかに、できることがない。
そんなわけで、僕はきょうも「次は何を書こうかなあ?」と、薬の切れかかった麻薬常習者のように、題材という白い粉を求めてのたうちまわっているのである。やれやれ。

