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「人は何も持たずに生まれて来て、何も持たずに死んでいく。生まれた時はひとりきりだし、死ぬ時もまた、ひとりきりだ」
最近・・・そんなことばかり考えて暮らしている。
なぜ?
はっきりとしたことは僕にもわからない。
もしかしたらその理由は、僕がすでに、人生の半分以上の時間を生きてしまったからなのかもしれない。
そうだ。僕の時間は、もうすでに半分以上が終わってしまったのだ。
若い頃は、40才になればもう諦めもついて、欲しいものもなくなって、さまざまな煩悩から解放され、無欲に、美しく、清らかに、他人のことを思いやって生きられるのではないか・・・そんなふうにも考えていた。40才になれば、自然と人に優しくなれるのではないか、と。
けれど、すでに45才になったというのに、僕は相変わらず自分勝手で、わがままで、相変わらず煩悩の塊である。
人に優しくできないし、人を思いやることもできない。
僕はしばしば癇癪を起こす。時には1日に2回も3回も癇癪を起こす。それも、ごくささいな、どうでもいいことでカッとなる。
もう癇癪は止めよう・・・そう決意した直後にもまたカッとなる。
それだけではない。僕はささいなことで、気分がふさぐ。特に、小説が思ったように書けない時や、煮詰まってしまった時には、ひどくふさぎ込む。
つい先日、立命館大学の講演で若者たちに、一喜一憂しないようにと僕自身が言ったはずなのに、僕のほうが、つまらないことで一喜一憂しているのである。
いい年をして、いったい何をやってるんだと、自分でも悲しくなる。
お金はそんなにないけれど、僕は好きな仕事をし、好きな人と暮らし、好きな時に好きなところに出かけ、誰にも束縛されず、自由気ままに生きている。
それなのに、何をそんなにカッカする必要があるというのだろう? どうしてこんなにも一喜一憂しなければならないのだろう? これ以上、何を望んでいるというのだろう?
ほら、気がつくとまた、いつもの口癖の「畜生」という言葉を呟いている。
これでは、いかん。もっと真摯に、もっと人に優しく、癇癪を起こさず、毎日を無駄にせず、一喜一憂せず、生きていることに感謝しながら、自分にできることをきちんとやっていかなければ・・・。
「人は何も持たずに生まれて来て、何も持たずに死んでいく。
生まれた時はひとりきりだし、死ぬ時もまた、ひとりきりだ」
僕はその言葉を紙に書き付け、パソコンの脇に張り付けたりして、腕組みをして、それを何度も読み返した。
そうだ。欲張ってはいけないのだ。もっと謙虚にならなくてはいけないのだ。もっと感謝を持って生きるべきなのだ。
その言葉を肝に命じるために、じっと噛み締めるようにしていたら・・・突然、電話が鳴った。
電話をして来たのは懇意にしている旅行代理店だった。
「オヤビン、今なら特別に格安で、特別にゴージャスな南の島へのツアーがありますぜっ!! 行かなきゃ損をしますぜっ!!(超訳)」
むむむむっ。
常夏の島!! 降り注ぐ陽光!! 透き通った海!! 風にそよぐ椰子の葉!! 咲き乱れるブーゲンビリアとハイビスカス!! プールでビール!! マッサージとスパ!! 天蓋付きのベッド!! 迷子になるほど広いスィートルーム!!
たった今、煩悩との決別を心に決めたばかりだというのに、僕の心は早くも煩悩に占領されてしまった。
しかたがない。南の島の誘惑に打ち勝つことはできない。
そんなわけで・・・またまたまた南の島に出かけて来ます。
帰国したら、今度こそ、本当に心を入れ替えて真面目に仕事をします。ごめんなさい。

