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咲き誇るアサガオ
母は僕が幼い頃から、僕の誕生日にはアサガオの種を蒔いていたらしい。
別にロマンティックな意味はなかったのだろう。僕の母はそういう人ではない。
ただ、お百姓さんたちが桜の開花を稲作の目安にしているように、アサガオの種を蒔く日の目安として息子の誕生日がちょうど便利だったというだけのことだろう。
とにかく、それを聞いてからは、僕も自分の誕生日にはアサガオの種を蒔くことにしている。
まあ、厳密に誕生日に蒔くと決めているわけではない。その前後のヒマな時に・・・ということだ。
僕はとてもいい加減な性格である。
毎年、毎年、僕はアサガオの種を蒔く。秋には結実した種子を収穫し、それを冷蔵庫に保管しておいて、翌年の誕生日にまた蒔く。
毎年、毎年・・・繰り返し、繰り返し・・・。
毎年、同じ花の種子を使っているから、いつも花の色は同じ。茶色と青の2種類だけである。
そんなわけで、今年も僕は誕生日の数日前にアサガオの種子を蒔いた。例年のように今年も30個ほどの種子を蒔いたのだが、なぜか・・・今年は4本しか発芽しなかった。
通常は発芽率はほぼ100%だというのに、今年はどうしたのだろう? いつになく梅雨が長かったせいだろうか?
それでも、7月半ばから、いつものようにいっせいに花が咲き始めた。たった4本の株しかないのに、いつもよりたくさんの花が咲く。
ベランダは北東を向いているせいか、アサガオは夕方まで花が開いている。だから僕は仕事に飽きるとベランダで煙草をふかしながら、ぼんやりとアサガオの花を眺めている。
去年の夏も僕は仕事の合間に煙草をふかしながら、ベランダで茶色と青のアサガオを眺めていた。去年の夏の僕は「親切なクムジャさん」の締め切りに追われていた。
一昨年の夏もやはり僕はベランダで2色のアサガオを眺めていた。あの夏はピーナッツが死んで悲しくて、何も手につかなかった。あれほど辛い夏は初めてだった。
その前の夏も僕はアサガオを眺めていた。あの夏は「湘南人肉医」の最後の推敲をしていた。
その前の夏も・・・たぶん僕はベランダで同じ2色のアサガオを眺めていたはずだ。
もう記憶は薄れかけてはいるが、あの夏は「呪怨」の執筆に頭を抱えていたに違いない。
毎年、毎年・・・繰り返し、繰り返し・・・。
来年の夏も僕はベランダで同じアサガオを見るのだろうか? 再来年の夏はどうなのだろう? その時、僕の周りではどんなことが起きているのだろう?
小説家という仕事は明日のことはわからない。ましてや、来年のことなんて想像もつかない。再来年なんて、遠い遠い未来みたいな感じがする。
だけど、それが面白いのです。
僕はどうなっているかわからないけれど(本が売れなくなってホームレスになっている可能性もあるぞ!!)、できることなら、来年のきょうも、再来年のきょうも、この2色のアサガオをベランダで見ていられたらいいな。

