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3月31日は結婚記念日。大雨に見舞われた1990年の結婚式から丸々15年である。
15年。28才だった僕が43才になってしまったのだから、それなりに色々なことはあったのだが・・・子供がいないせいもあって、我が家では時間が止まっているかのようである。
15年前に買ったベッドもソファもテーブルも食器棚も、冷蔵庫も洗濯機も電子レンジも石油ストーブもいまだに現役である。僕は15年前と同じ腕時計をしているし、15年前と同じジッポーライターを使っている。暮らしている部屋も15年前と同じだし、食べている物もしていることも、聴いている音楽も夫婦で話すことも、15年前とたいして変わっていない。
今朝も僕たちは15年前と同じようにパンを焼き、15年前と同じフライパンでソーセージとキャベツを炒め、15年前と同じ食器を使って食べた。15年前と同じように僕はサイフォンでキリマンジャロをいれ、妻は15年前と同じようにダージリンをいれた。食後にはヨーグルトと果物を食べ、音楽を聴きながら、15年前と同じようにふたりで交代に新聞を読んだ。
この15年で、いちばん嬉しかったことは何だろう?
妻が朝刊を読んでいるあいだ、ぼんやりと窓の外を眺めながら考えてみた。
結婚して初めてのゴールデンウイークの朝? まだ僕はサラリーマンだったから、あの朝は確かに嬉しかった。だが、歓喜するというほどではなかった。
「胃癌の疑いあり」と診断され、1週間後に「異常なし」の結果が出た時? いや、あれは喜ぶというより、胸を撫で下ろすという感じだった。
文藝賞をもらった時? 実はあの時は、「佳作」ということで、喜ぶよりも失望のほうが大きかった。僕は心の中でひそかに、この「履き忘れたもう片方の靴」で芥川賞を・・・などという幻想を膨らませていたのだ。
新しい本が出るのは確かに喜びだが、それは「歓喜」ということではなく、「ああ、ありがたいな」という感じだ。増刷のお知らせもそのたびに嬉しいが、それも喜びというよりは出版社に対する責任を果たせてホッとする感情に近い。
そう。仕事にまつわる喜びはいつも、「歓喜」というより「安堵」というほうが正しいように思う。それは野球のバッターがバントで無事に2塁にランナーを進め、ベンチに戻る時の気持ちに近いのかもしれない。
それでは、15年で「歓喜」したことは1度もなかったのか?
ずっと考えていたら、「これかな?」と思うことが、ひとつあった。
それは8年前、妻が原付き免許を取得した時のこと。あの7月の暑い日、34才だった妻はひとりで電車を乗り継いで、横浜の二俣川まで原付き免許の試験を受けに行った。
試験の直後に、自宅にいた僕に電話してきて「ダメだった気がする」と落ち込んでいた。だが、夕方、「合格した!!」と大喜びで電話をしてきた。
あの時は、なぜか、飛び上がるほど嬉しかった。
それでさっき、妻に「この15年でいちばん嬉しかったのはいつ?」ときいてみた。
妻は「うーん」とうなりながら、しばらく考えていた。それから、「原付き免許を取った時かも」と恥ずかしそうに言った。
それには驚いた。
妻と僕が、そんな昔の、そんなささやかなことを、同じように「いちばん嬉しかったこと」だと考えていただなんて!!
メーテルリンクが書いたように、探し求めていた幸福の青い鳥は、実はこの部屋の中にいるのかもしれない・・・15回目の結婚記念日の朝に、ふと、そんなことを考えてしまった。

